郡上八幡城
下呂温泉からの帰り道、郡上八幡城に立ち寄り天守閣に上る。ランチは魚寅の鰻丼を食べて、帰路につく。※今回のドライブ総走行距離は、1280辧

日本最古の木造再建城

戦国時代末期の永禄2年(1559年)、遠藤盛数が八幡山山頂に砦を築いたのが始まりです。明治維新の際に天守閣は取り壊しを受けるが、昭和8年に再建。木造の再建城としては日本最古。文豪・司馬遼太郎も絶賛した美しい山城からは、郡上八幡の城下町や奥美濃の山々が一望できます。初夏の新緑も美しいが、奥美濃屈指のもみじの名城として人気で、秋の紅葉は圧巻です。

[ 旅と散策2016年9月3日 郡上八幡城 ]
大河ドラマ真田丸の舞台となった「上田城」
9月1日(木曜日)晴れ。旅行二日目、清里高原ホテルを出発し、信州小諸にある松井農園へ、今年のブルーベリー狩りは終わり、りんご狩りを楽しんできました。その後は、NHK大河ドラマ真田丸の舞台となった上田城に立ち寄る。

真田氏の居城(上田城跡公園)

天正11年(1583年)に真田昌幸が築城した実戦用の堅固な平城で知られる。関ケ原の合戦後、徳川方に接収され、本丸の櫓などが破壊されたが、その後、上田に移封になった仙石忠政によって再建。近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓と石垣などが往時の面影を伝える。また樹齢100年といわれるケヤキ並木をはじめ、約1000本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園です。

[ 旅と散策2016年9月1日 上田城 ]
久保田城
千秋公園(久保田城跡)

久保田城内には八つの御隅櫓がありましたが、市政100周年を記念して復元された御隅櫓は本丸の北西隅に位置していたもの。櫓とは、見張り場としての役割と「矢倉」すなわち武器庫としての役割を持っていました。
近世の櫓は、隅櫓と多聞櫓(多聞長屋)に分けられますが、土塁や石垣等の城の囲いに沿って建てられる多聞櫓に対して、城の囲いのコーナー部に建てられる櫓を隅櫓と呼んでいる。

久保田城御隅櫓は、21世紀に向けて秋田市の発展を願い、史料に記されている2階造りを基本とし、その上に展望室を加えて復元されたもの。展望室からは市内が一望できる。
建物の内部では、佐竹氏の歴史を解説したパネル展示を行っています。
「日本100名城」久保田城御隅櫓「拝観料大人:100円。」

[ 旅と散策2016年5月23日 久保田城 ]
古代山城「鬼ノ城」
二日目、㋃16日(土曜日)晴れ。
露天風呂、「西の横綱」湯原にて温泉三昧⇒米子自動車道「湯原IC」⇒中国自動車道「新見IC」⇒石州瓦とベンガラ漆喰壁の赤い町並みで知られる「吹屋ふるさと村」⇒備中高梁ご当地グルメ「柚子みそカツ丼」⇒古代山城「鬼ノ城」日本100名城⇒岡山自動車道「総社IC」⇒山陽自動車道⇒自宅に戻る。※走行距離、367辧(2日間、往復700劼猟控離ドライブは疲れました。)

古代の空中要塞現る「鬼ノ城」

標高約400mの鬼城山山頂一帯は、すり鉢を伏せたような形の山で、八合目から九合目にかけて、高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたって巡らされた古代の山城です。実物大で復元された西門をはじめ,城内からの排水施設である水門,兵糧を蓄えた礎石建物跡などがある。また昔話「ももたろう」の原形といわれる「温羅伝説」の地として知られています。

[ 旅と散策2016年4月16日 鬼ノ城 ]
天空の城塞「備中松山城」
備中松山城へのアクセスは、城見橋公園(駐車場に車を置いて・無料)⇔ふいご峠まで、シャトルバスが運行(約15分間隔)。ふいご峠からは、城の本丸付近へは山道を徒歩約20分の道のりとなっています。「入城料大人:300円」
※シャトルバスは、土・日曜日、祝日、及び繁忙期に運行。「往復大人:300円」

天空の城塞「備中松山城」

備中国分寺から車で、城見橋公園駐車場まで、約1時間。備中松山城は、標高430mの臥牛山頂上付近に建つ天守は、国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にあります。鎌倉時代、有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、1683(天和三)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になりました。


この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されています。登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、昔日のつわものたちが舌を巻いた「難攻不落の名城」の面影をうかがい知ることができます。白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラスト、空の青に映える美しい天守。秋には大手門付近の木々が紅葉し、岩壁が燃えるような朱色に覆われる景色は圧巻です。

[ 旅と散策2016年4月15日 備中松山城 ]
福山城博物館
雨夫婦、旅から帰ってきたら晴れました。
3月13日(日曜日)〜14日(月曜日)
名神高速道路「大山崎IC」⇒山陽自動車道「福山東IC」下車⇒福山城⇒鞆の浦(温泉)⇒尾道観光へ行ってきました。旅行前日まで天気だったのに、旅行中はあいにくの曇りのち雨、15日帰ってきたら晴れました。

備後10万石の城下町 福山

3月13日曇り。福山城は、1622年(元和8年)水野勝成によって建てられ、近世築城最後の城として、築地術の粋を集めた名城として知られている。天守閣を始め多くの建物が戦災で焼失したが、昭和41年頃から再建され今日のようになった。中でも戦災を逃れた伏見櫓、筋鉄御門は桃山時代の建物で美しい三層の櫓やどっしりとした構築美を見せている。天守閣の内部は博物館として一般に公開されている。

[ 旅と散策2016年3月13日 福山城博物館 ]
平成の大修理を終えた「姫路城」
2月14日(日曜日)曇り時々晴れ。日中の気温が19℃を越え春を思わせる陽気です。
赤穂温泉に向う途中、世界文化遺産「国宝の・姫路城」に立ち寄りました。平成の大修理を終えた姫路城は、約5年振りに、まばゆい輝きが蘇った。

平成の大修理前の姫路城、2010年4月18日。

国宝・姫路城

国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。今、私たちが目にしている姫路城の大天守は、慶長14(1609)年に建築されたもの。400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残しています。「入城料大人:1.000円・大手門駐車場:3時間600円」

[ 旅と散策2016年2月14日 国宝・姫路城 ]
高松観光
11月5日(木曜日)晴れ。
四国八十八ヶ所、第88番「大窪寺」に参拝を済ませ、1日早く結願出来ました。
三日目は、歴代藩主の趣きただよう高松城跡(玉藻公園)と四国が誇る特別名勝庭園「栗林公園」に立ち寄り、大鳴門大橋⇒淡路島⇒明石海峡大橋を渡り、帰路に着く。

高松城跡(玉藻公園)

生駒家・松平家の居城だった高松城跡を開放したもので、全国でも珍しい水城です。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城のひとつといわれています。海の干満とともに、水位が上下するお堀には、真鯛など多くの海水魚が泳いでおり、鯛の餌やりが楽しめます。内堀に和船を浮かべて航行する乗船体験が楽しめるようになっています。

[ 旅と散策2015年11月5日 高松城跡 ]

特別名勝「栗林公園」

紫雲山東麓にある国指定特別名勝の庭園。約75万平方mの広大な園内は、池泉回遊式大名庭園の南庭と近代的に改修された北庭に分かれている。南庭は讃岐領主・生駒家が築庭に着手。以降、初代高松藩主の松平頼重に引き継がれた。松平家5代、100年余の歳月を費やして完成。紫雲山を背景に6つの池と13の築山で構成されており、松をはじめとする各種樹木や石組みを巧みに配し、四季折々に風情ある表情を見せてくれます。

[ 旅と散策2015年11月5日 栗林公園 ]
島原観光めぐり
9月3日(木曜日)晴れ。
旅行六日目、九州に入ってやっと好天に恵まれました。
雲仙温泉発⇒道の駅「みずなし本陣」⇒島原城⇒武家屋敷⇒鯉の泳ぐまち⇒
湧水庭園「四 明 荘」⇒島原港12:05発(熊本フェリー乗船)⇒熊本港12:35着⇒
関之尾滝⇒霧島神宮⇒霧島温泉(泊)本日走行距離240辧

島原城

島原城は別名、森岳城。元和4年(1618)から松倉重政が7年3ヶ月の歳月を費やして島原半島中央部の森岳に築城。子の勝家は島原の乱の責任を問われて所領没収・断罪。以後、高力忠房、松平忠房らが城主となり、松平氏の時代に明治維新を迎えた。昭和39年に、天守閣が復元されたほか、巽の櫓や丑寅の櫓が復元され、それぞれ北村西望記念館や民具資料館になっています。


武家屋敷

島原城築城と同時にできた扶取七十石以下の武士の屋敷跡で、上から上新丁、下新丁、古丁、中の丁、下の丁、江戸丁、新建と7つ町筋が碁盤の目のようにできています。家と家との皆壁も境界もなく、鉄砲のように筒抜になっていたところから、総称して鉄砲丁とも呼んでいました。また通りの中央に溝を堀り飲料水を流していたが現在は下の丁だけに残っている。また下の丁には、三つの武家屋敷を昔のまま残っています。

[ 旅と散策2015年9月3日 島原観光 ]
北海道最後の日
あっという間の6日間
旅行期間中は天候にも恵まれ、北海道の大地を満喫しました。
今日は北海道旅行の最終日です。洞爺湖温泉出発⇒大沼国定公園散策⇒五稜郭タワー・五稜郭跡(函館奉行所)⇒函館駅前散策(朝市、摩周丸)⇒ベイエリア(赤レンガ倉庫群)⇒元町教会群散策⇒夜の函館(函館山山頂から100万ドル夜景)⇒函館大沼プリンスホテル(泊)。忙しい一日になりました。

五稜郭

8月29日(金曜日)曇り。
五稜郭に行ったことがあるのですが、いつの間にかタワー が建て変わっていました。五稜郭築城100年を記念して1964年(昭和39年)に建造された旧タワーは2006年6月に解体され、2006年4月1日に新タワー(高さ107m)がオープン。展望台からは函館山や津軽海峡、横津連峰の山並み、そして特別史跡五稜郭の大地に輝く星形の眺望を展望できます。

五稜郭跡は、箱館開港に伴い、徳川幕府の最重要課題であった北辺防備、蝦夷地統治等を目的に築造された箱館奉行所とその防御施設です。稜堡と呼ばれる5つの突角がある「西洋式土塁」で、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されました。「日本100名城」

[ 旅と散策2014年8月29日 大沼国定公園と五稜郭 ]

函館観光と夜の函館

古くから世界三大夜景のひとつ一つとして、人々に親しまれている函館山。標高334mの山頂から観る夜景は、日本三大夜景、そしてナポリ、香港と並び、世界三大夜景にも挙げられています。100万ドルの夜景を眺めるなら、ベストタイムは日没後の約30分間。昼間の街並みから雰囲気を一変させ、だんだんと夕闇のなかに光が輝きだす様子はため息が出るほどの美しさです。季節を問わず多くの観光客でにぎわう函館一の観光スポットです。
また、異国情緒たっぷりの元町エリアは、洋館・教会・坂道、歴史ある建物が残る西部地区の散策もおすすめです。

[ 旅と散策2014年8月29日 函館観光と夜の函館 ]
福井県の名城めぐり
7月に入り、梅雨らしい天気となりましが、 西日本各地では大雨の被害が出ています。
今日も蒸し暑い日が続きますが、早く梅雨が明けてくれるといいですね。

一乗谷朝倉氏遺跡

戦国時代には、およそ一万人もの人がにぎやかに暮らし、戦国大名朝倉氏の大城下町だった一乗谷。当時は京都から公家や文化人を迎え華やかな文化を開花させていました。しかし1573年、織田信長の越前侵攻により一乗谷は灰塵(かいじん)に帰し、越前の中心が現福井市の北の庄に移ったことで一乗谷の里は人里遠く隔絶されました。朝倉氏遺跡は町並みの跡、庭園の保存状態が良好で多くの出土品も現れ、歴史的価値が高まりました。「朝倉氏遺跡復元街並入場料金大人:210円・駐車無料」「日本100名城」

[ 旅と散策2013年6月8日 一乗谷朝倉氏遺跡 ]

越前大野城

越前大野城は、天正4年頃(1576)、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を守っていました。その石垣は、石を立てず、横に寝かせ、大きい石を奥に押し込んで積む、野面積みという工法で、貴重な史跡といわれています。現在の城は、昭和43年に再建されたもので、城内には歴代城主の遺品が展示されています。「天守閣入館料大人:200円・駐車無料」

[ 旅と散策2013年6月8日 越前大野城 ]

越前「丸岡城」

丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しい。外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣で石垣は「野づら積み」という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。
戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。
「入場料大人:300円 (歴史民族資料館入館料含む)・駐車無料」「日本100名城」

[ 旅と散策2013年6月9日 丸岡城 ]
石垣の名城「丸亀城」
午前中に6ヶ所の参拝を終えて、お昼は讃岐うどんで済ませた。
丸亀市はうどんでも有名ですが、うちわの生産量は全国シェアの90%を誇る日本一のうちわの産地でもあります。途中、丸亀城に立ち寄り、瀬戸大橋(岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ)を渡り帰路に着く。

亀山を三段の高石垣の要塞「丸亀城」

高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城。白鳥が遊ぶ内堀から積み重ねられた石垣は、高さ60mを超えて日本一といわれる。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は扇の勾配と呼ばれ、見事な曲線を描いて美しい。その上に木造の天守閣がそびえる。1660年(万治3年)に建てられた3階3層で、千鳥破風、唐破風。天守台からは瀬戸大橋一帯を見渡せます。「日本100名城に選定」入場料大人:200円。

[ 旅と散策2013年8月2日 丸亀城 ]
日本三名城の一つ「熊本城」
5月11日(土曜日)曇りのち晴れ。
旅行最終日、午後からやっと晴天に恵まれました。感動のイルカウォッチング体験⇒天草諸島をドライブ⇒築城400年の名城「熊本城」を観光して、JR「玉名駅」より、九州新幹線「つばめ」乗車⇒JR「博多駅」経由⇒新大阪駅着。

熊本のシンボル「熊本城」

日本三名城の随一を誇る熊本城は別名「銀杏城」とも呼ばれ、名将加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長6(1601)年に着工され、7年の歳月をかけ築城されました。城郭の広さは約98万屐陛豕ドームの約21倍)周囲約5.3km、大小天守閣をはじめ、櫓49、櫓門18、城内29を持つ豪壮雄大な構えで、美しい曲線で築かれた石垣や自然の地形を高度に利用した独特な築城技術が生かされています。「入園料大人:500円」

[ 旅と散策2013年5月11日 熊本城 ]
平戸島内観光
5月10日(金曜日)雨。
昨夜から降り続いた雨、平戸島内観光は傘を差しても全身ずぶ濡れの最悪の状況でした。
旅行2日目は、午前中「平戸島内観光」⇒九十九島遊覧(昼食)⇒有明湾が一望の絶景スポット「仁田峠」(濃霧のため中止)⇒雲仙温泉(泊)。

西洋と日本の文化が重なる平戸

平戸は海外との門戸が最初に開かれた歴史やその時代に残された文化とロマンに溢れた城下町です。平戸城と城下町、日本初の西洋建築物であるオランダ商館(復元)や平戸ザビエル記念教会、寺院と教会の見える風景、そこは異国情緒あふれる景観です。平戸の雰囲気を肌で感じながらゆっくり散策できました。
※前日、ライトアップの平戸ザビエル記念教会に行きました。

[ 旅と散策2013年5月10日 平戸島内観光 ]
天空の城「竹田城跡」
4月1日(月曜日)晴れ。湯村温泉の帰りに「竹田城跡」に立ち寄る。
天空の城「竹田城址」 最近人気上昇中で話題の絶景スポットです。竹田城跡へ向う道路(山城の郷)で車両規制、中腹駐車場(無料)への待ち時間約30分。そして駐車場から竹田城跡(山頂)まで、700mの急な坂道を歩くこと約30分で到着。山頂の桜開花は、1週間程遅くまだつぼみが固いようでした。

日本のマチュピチュ

雲海に浮かぶ竹田城跡は「天空の城」の異名を持つ城郭で国の史跡です。標高353.7mの山上に位置し、日本100名城にも選ばれる全国屈指の城です。石垣の石積みは穴太積みといって、織田信長の安土城、姫路城と同じです。また、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城」とも呼ばれています。

ここ数年、新聞や雑誌に幻想的な写真がたびたび掲載された影響もあり、近年観光客が急増しています。山道を登れば、壮大な石垣遺構が眼前に広がり、竹田城跡のほぼ中央に位置する天守からの眺めは360度のパノラマです。また、竹田城跡のふもとは、4軒のお寺と表米神社が建ち並ぶ歴史散策路になっています。これは寺町通りと呼ばれ、通りに沿って竹田川が流れており、歴史散策とともに城下町の雰囲気が楽しめます。国内屈指の山城遺構として知られる竹田城跡と竹田城下町を満喫できるハイキングコースとなっています。

山城の郷 住所:兵庫県朝来市和田山町殿新井土13-1 TEL:079-670-6518
[ 旅と散策2013年4月1日 竹田城跡 ]
但馬の小京都「城下町・出石」
出石城跡の桜まつり

但馬の名所といえば「辰鼓楼」。1871(明治4)年に、出石城の旧三の丸大手門脇の櫓台に建造された鐘楼で、後に時計台となり、現在まで親しまれている町のシンボルです。
この他にも、出石には歴史を感じさせる建物「明治館」。出石城跡に上れば、こうした城下町らしい由緒ある町並みが眼下に。また、出石は現在NHKで放送中の大河ドラマ「八重の桜」八重の最初の夫「川崎尚之助」の出身地でもあります。

もう一つ、出石といえば、小皿に盛った蕎麦をおかわりしながら頂く「出石の皿蕎麦」。60軒のお蕎麦屋さんが並ぶ、関西屈指の蕎麦どころです。

[ 旅と散策2013年3月30日 出石城跡の桜まつり ]
南国の名城「高知城」

2012年12月23日(日曜日)晴れ。
高知市の中心にある典型的な平山城。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が、慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備しました。三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。

日本国内に残る木造の12古天守の一つであり、火災や震災、明治維新による全国的な廃城、太平洋戦争など幾度となく襲ってきた危機を乗り越え、現在でもその姿を残しています。公園内には,内助の功で有名な一豊の妻、千代の像や板垣退助像などもあります。また、天守閣と追手門が1枚の写真に無理なく収まる数少ないお城の一つでもあり、追手門前は絶好の撮影スポットです。 nextお宿はこちら

住所:高知市丸ノ内1丁目2-1 TEL:088-824-5701 「入場料大人:400円」
[ 旅と散策2012年12月23日 高知城 ]
丹波「篠山城跡」
11月7日は「立冬」。季節を示す二十四節気の一つで、暦ではこの日から冬に入ります。
朝晩の気温も下がり、街路樹がチラホラと色づき始めました。

秋の丹波路を満喫

10月20日(土曜日)晴れ。今年も丹波篠山の黒豆枝豆狩りツァーに参加しました。当日は秋空の晴天に恵まれ、爽やかな秋風の下で、畑に腰を下ろして丹波黒豆枝豆の収穫を楽しんで来ました。その後、篠山城跡に立ち寄りました。

篠山城は、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が、慶長14年(1609年)豊臣氏の居城である大坂城の包囲と、豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を抑える拠点とするために篠山盆地に築いた城です。明治6年(1873年)廃城令によって篠山城の大半が取り壊されましたが、大書院だけが残され昭和19年(1944年)火災により焼失しました。学術調査を基にして地元の熱意により平成12年(2000年)に大書院が再建されました。

[ 旅と散策2012年10月20日 篠山城跡 ]
[ 旅と散策2012年10月20日 丹波黒豆の枝豆狩り ]
四国の名城「今治城と松山城」
朝晩はめっきり秋らしくなってきました。
夜になると、庭から虫の音が聞こえるようになりましたね。

日本の海城「今治城」

しまなみ海道のほど近くにある「今治城」。瀬戸内海の海水を引き込んで内堀にした、海に浮んでいるかのような景観を誇る海城です。
1604年に、築城名手・藤堂高虎が約4年の歳月をかけてつくりました。今治城は徳川家康がことごとく城づくりを命じた藤堂高虎の渾身の縄張りともいわれ、宇和島城、大洲城などで試行錯誤を重ねてきた高虎の築城技術が頂点に達した時期の集大成です。54mにも及ぶ広大な水堀と、反りのない直線的な石垣が最大の特長です。

住所:愛媛県今治市通町3-1-3 TEL:0898-31-9233
「観覧料金大人:500円・駐車場:1時間100円」
[ 旅と散策2012年9月15日 今治城 ]

四国最大の城郭「松山城」

松山城は松山市の中心部、標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)があります。加藤嘉明公が1602年から築城を開始し、完成までに25年の歳月がかかった四国最大の城郭で、姫路城と並ぶ日本有数の連立式平山城です。加藤氏は、城の完成を待たず会津若松へ転封。その後、蒲生氏を経て1635年から明治維新まで親藩大名である松平氏の居城となりました。

住所:愛媛県松山市丸之内1 TEL:089-921-4873
「入場料大人:1000円(ロープウェイ&リフト往復券と天守観覧券)」
[ 旅と散策2012年9月15日 松山城 ]
明石城「明石公園」
2基の三重櫓が現存する

松本城主だった小笠原忠真が元和3年(1617年)に明石の地に入った。翌年、西国諸大名に対する監視とそなえとして、2代将軍徳川秀忠より築城の命が下った。元和元年(1615年)の一国一城令により、元和5年(1619年)明石海峡を望む丘陵端に、現在の明石城が築城されました。自然地形を巧みに利用した3重3段構えの堀と曲輪、本丸に天守台が築かれたが、天守は建てられなかった。

本丸には4基の三重櫓が築かれ、うち2基の三重櫓が修復されながらも現存する。坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城から移築されたといわれる。築城から400年たった今、地震などで修復され、春には桜など緑の多くの木々に囲まれ、歴史のロマンを伝えています。
「明石公園:無料・駐車3時間迄:500円」「日本さくら名所100選」「日本100名城

住所:兵庫県明石市明石公園1-27 TEL:078-912-7600
[ 旅と散策2012年3月25日 明石城(明石公園) ]
播州赤穂といえば「忠臣蔵」
赤穂浪士の討入り
元禄15年12月14日の深夜、赤穂浪士47名が吉良上野介邸に押し入り、上野介を殺害して主君の仇を討ちました。そして2ヵ月後の2月4日義士達は武士の最高の名誉である切腹という処分をうけることにより劇的な終焉を遂げました。この2つの事件を合わせたものが「忠臣蔵」です。

赤穂城跡

赤穂城は、三方を山に囲まれ、東に千種川、南は瀬戸内海に面し、河川を巧みに利用して船が出入りできるようになっており、水運の便を生かした構造でした。その規模は10の隅櫓、12の諸門を有しています。

築城にあたって甲州流軍学と山鹿流軍学を取り入れ、変形した縄張りで折れを多用しています。特徴のある本丸を二之丸が囲む輪郭式、本丸・二之丸とは悌郭式になる三之丸を備えた、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城です。

本丸内は、平面的に屋敷や庭園が復元され、建物はないものの、御殿の跡地を歩いてまわることができ、天守台からは本丸内が見渡せます。現座、二之丸・三之丸が発掘調査が行われていて、復元や整備が進められています。「日本100名城

赤穂「大石神社」

大石神社は明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年11月、四十七義士命を祀る神社として鎮座になりました。

大石神社は赤穂城内にあり、参道の両側には四十七士の石像が並んでいます。大願成就、子宝祈願で有名ですが、やはり忠臣蔵、赤穂城跡とセットで訪れる観光客が多いです。

住所:兵庫県赤穂市上仮屋129 TEL:0791-42-2054
[ 旅と散策2012年2月5日 赤穂城と大石神社 ]
国宝・松本城
国宝城郭のひとつ

国宝「松本城」は、約30mある5層6階の天守を中心に、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓という5つの建物が複合連結。城内の急勾配の階段を上がり最上階まで見学することができます。黒い下目板と白壁が美しく調和した天守を中心とした天守群の複数さと組み合わせ妙は全国一です。本丸内からの姿も城外水越しに見た姿も素晴らしいお城です。
「日本100名城」

国宝城郭の4つ、姫路城彦根城犬山城と後ひとつ松本城では、天守閣まで上ると、松本市街地や北アルプスをのぞめます。重要文化財の「旧開智学校」を見て、旅館に向かう。

松本城(天守閣と博物館の共通券)観覧料金大人:600円
松本市営松本城大手門駐車場(松本城まで徒歩約5分)有料。
住所:長野県松本市丸の内4-1 TEL:0263-32-2902
[ 旅と散策2011年11月18日 松本城 ]
明智光秀が築城した「福知山城」
城郭の石垣に大量の転用石

福知山城跡は、市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持ちます。東から西に流れる由良川が天然の堀となっており、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築かれ展望のよくきく地である。東、北、西は断崖で、盆地の真ん中にある小高い丘の上に建つ、復元された小天守を伴った三層の大天守が街のどこからでもよく見えます。

城跡は、現在城址公園となっていて、ほぼ本丸部分が残されています。城郭の石垣には、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる自然石をそのまま用い、所々に転用石(五輪塔・宝夾印塔・墓石・石仏・石臼、灯籠など)も使われた豪放なもので、明智光秀の築城当時のままの姿を留めています。本丸石塁上に移築されている二の丸銅門脇番所は、福知山城で唯一現存する建物遺構です。公園入り口にある福知山市佐藤太清記念美術館は、城の外観の隅櫓風城郭建築様式の建物になっています。※日本100名城ではありません。

住所:京都府福知山市字内記5 TEL:0773-23-9564 
「入館料大人:310円」 休館:毎週火曜
[ 旅と散策2011年8月19日 福知山城 ]
戦国武将の里「上田城と松代城」
秋が待ち遠しい
残暑お見舞い申し上げます。連日の猛暑にいささか参っています。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。秋が待ち遠しい今日この頃です。

上田城跡公園

天正11年(1583年)に真田昌幸が築城した実戦用の堅固な平城で知られる。関ケ原の合戦後、徳川方に接収され、本丸の櫓などが破壊されたが、その後、上田に移封になった仙石忠政によって再建され、近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓と石垣などが往時の面影を伝えています。城跡を核とした公園で、上田市の観光拠点になっています。

樹齢100年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など花と緑に囲まれたゆったりとした公園です。住所:長野県上田市二の丸3-3 TEL:0268-22-1274(上田市立博物館)
[ 旅と散策2011年8月12日 上田城(日本名城100選)]

松代城跡

松代城(海津城)は、永禄3年(1560年)武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城しました。元和8年(1622年)に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家10万石の居城となりました。三面を山に囲まれて、一方に千曲川が回る、自然立地に恵まれた天然の要害です。

蘇った太鼓門と高麗門に櫓門、木橋、石垣、土塁、堀などは、江戸時代の姿に限りなく復元されています。また城下町松代は、真田家が幕末まで治めていました。多くの武家屋敷や古寺が残る、情緒あふれる町です。

住所:長野県長野市松代町松代 TEL:026-278-2801(松代文化施設管理事務所)
[ 旅と散策2011年8月13日 松代城(日本名城100選)]
小諸城址「懐古園」
9月1日は防災の日
台風12号の北上で3日未明に、近畿地方に上陸の恐れがでてきました。週末にかけて記録的雨量が予想されます。今後の台風の予想進路にあたる地域は、暴風や大雨に厳重な警戒が必要です。

島崎藤村ゆかりの地を訪ねる

8月12日(金)晴れ。小諸駅の西側に広がる懐古園は、小諸城跡の敷地に記念館や動物園などが作られた公園です。小諸城の天守台は現存していますが、城門などは再建されたものです。三の門には徳川家達公の筆になる「懐古園」の大額が掛かっています。小諸城は、全国的にも珍しい城下町より低い穴城で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。

また、文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」「千曲川のスケッチ」などの作品を生み出した。作品の舞台になった信州の名園を散策しました。

住所:長野県小諸市丁311 TEL:0267-22-0296 「入園料大人:500円・駐車無料」
[ 旅と散策2011年8月12日 小諸城址・懐古園 ]
世界遺産「首里城公園」
7月20日(水曜日)曇り。大型で強い台風6号は19日、四国の南海上をゆっくり進み、現在は潮岬沖を東に進んでいます。台風が逸れてくれてやれやれ…

琉球王国の首里城

那覇市を見下ろす標高約120mの高台に立つ琉球王国の象徴。1429年(永享元)から始まる琉球王朝の居城であるとともに、政治や文化、外交、祭礼の場でもあった。創建は14世紀末初め〜中期と推定され、地勢面、軍事面はもちろん、風水上も理想的な立地だった。城内の構成は、北京の紫禁城、ソウルの景福宮や昌徳宮との類似点も多く見られ、荘厳な城門をいくつもくぐると現れる正殿は、琉球王国最大の建造物です。

日本の築城文化を融合した独特の建築様式や石組み技術には高い文化的・歴史的価値があるとされ、2000年(平成12年)12月、世界文化遺産に登録されています。 他にも園内には、守礼門や園比屋武御嶽石門、円覚寺跡などの文化財が点在しています。沖縄戦により焼失しましたが、1992年、本土復帰20周年を期に、1768年(明和5年)の工事記録として残る資料をもとに復元されました。「入園料大人:800円」

住所:沖縄県那覇市首里金城町1-2 TEL:098-886-2020 「駐車場:有料」
[ 旅と散策2011年6月27日 首里城公園 ]
2011 岡山・津山さくらまつり
今日は絶好のお花見日和
4月10日(日)晴れ。好天に恵まれて、桜が一気に開花しました。
岡山県津山市の津山城跡・鶴山公園(かくざんこうえん)と衆楽園のさくらまつりに行ってきました。アクセス:中国自動車道「津山IC」から約15分(大阪約3時間)

津山城跡「鶴山公園」

日本のさくら名所百選にも選ばれた西日本有数の桜の名所です。地上から45mにも及ぶ石垣が完全な姿で残り、平成17年に再建された備中櫓をバックに染井吉野など約千本の桜が咲き誇ります。

津山藩初代藩主・森忠政が13年の歳月をかけて元和2年(1616)に完成させた平山城。明治6年の廃城で建物はすべて取り壊されましたが、三層の石積が完全に残り、往時の雄大な面影をとどめています。平成17年(2005)に城内最大規模の櫓で、内部は畳敷きの御殿様式という特徴を持つ「備中櫓」を復元させました。

鶴山公園:岡山県津山市山下135 「入園料大人:300円(備中櫓の入館は無料)」
TEL:0868-22-4572 「周辺の駐車場は満車で、アルネ津山に駐車」

衆楽園「旧津山藩別邸庭園」

衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
「入場無料」「市役所駐車場:500円」

衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占め、余芳閣・迎賓館・風月軒などが復元されています。
平成14年6月には国の名勝に指定。大名庭園としては、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。四季折々の花が咲き揃い、はるか山並みを借景した奥行きのある風景が楽しめる庭園です。

住所:岡山県津山市山北628  TEL:0868-22-3310
[ 旅と散策2011年4月10日 鶴山公園・衆楽園 ]
静岡県の名城
23日(秋分の日)雨。自宅をAM9時に出発。京滋バイパス「久御山淀」⇒瀬田東JCT⇒名神高速道路⇒草津JCT⇒新名神高速道路⇒亀山JCT⇒東名阪自動車道⇒四日市JCT⇒伊勢湾岸自動車道⇒豊田JCT⇒東名高速道路という予定でしたが、四日市JCTで道路を間違えて名古屋西JCTから名古屋高速道路を通り抜けて東名高速道路に入ってしまう。高速道路を途中で出て通行料金を支払う結果となり、思いがけないハプニングで旅行が始まりました。昼食は予定通り浜名湖SAで「お茶掛けうな重セット」を頂き、お腹がいっぱいで幸せな気分。レストランを出た途端、急に雨が激しく降り出した。

日本初の木造天守閣を復元「掛川城」

大阪から約5時間(途中に昼食と休憩を挟む)東名高速道路「掛川IC」に着くと雨が止み、薄曇の空が明るくなってきました。大手門駐車場(有料)に車を止めて、掛川城天守閣と二の丸御殿へ徒歩約10分。

掛川城は戦国時代「内助の功」の逸話で有名な山内一豊が城主となって建立し、その美しさから「東海の名城」とうたわれた掛川城。平成6年4月、当時の美しさをそのままに日本初の本格木造天守閣として復元されました。天守台からは、歴代の城主が見渡したであろう緑に包まれた美しい掛川の街並みが広がり、戦国の歴史に思いを馳せる。

住所:静岡県掛川市掛川1138-24 TEL:0537-22-1146 「入館料大人:300円」
[ 旅と散策2010年9月23日 掛川城

徳川家康の隠居城「駿府城」

24日(金)2日目も雨。焼津ホテルから駿府城へ、静岡市民文化会館前駐車場の車を止め「北御門」から駿府公園と紅葉山庭園を見学。

駿府城は、今から650年ほど前の室町時代に今川範国が駿河国の守護に任ぜられ、以後駿河国は今川氏の領土の一つになります。 今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。

住所:静岡県静岡市葵区駿府公園1-1 TEL:054-251-0016 「共通券大人:300円」
[ 旅と散策2010年9月24日 駿府城
幻の名城 「安土城跡」
織田信長が天下統一の拠点の城

八日市大凧まつりの帰りに、能登川水車から田園風景を眺めながら、日本100名城の安土城跡に立ち寄る。100名城と言えば天守閣(天主閣)のあるお城めぐりを優先してきましたが、意外や、安土城跡は幻の名城と言われただけの城跡でした。「入城料大人:500円」

料金所を通ると、大手道は直線で約180m程あり、両側に石敷の側溝があり、道幅も8mと広く主郭部につながっています。 短期間の築城で石が足らなかったのでしょうか? 大手道の石段のところどころに石塔・石仏が使われていました。また大手道の両側を伝豊臣秀吉邸跡、伝前田利家邸跡、さらに上部にも、徳川家康、織田信忠・信澄や森蘭丸ほか信長の家臣達の屋敷跡が立ち並んでいます。

信長はこの城に自分の全てを表現すべく独創的な発想を用い、天主内部は自身の思想を取り入れ、彼独特の趣味で彩った造りで、3年後に天主は完成した。山頂に 46mの五層七重の天主を抱く姿は、訪れたキリスト教宣教師を「ヨーロッパの建築に優るとも劣らない名建築」と驚かせた。それから3年後の1582年(天正10)信長は本能寺の変で、明智光秀の謀反で非業の死を遂げる。(49歳)弔いの山崎の合戦で、明智光秀が羽柴秀吉に敗れると、明智残党掃討のため城下に火を放ち、城にまで燃え広がり天主も焼け落ちてしまった。(完成後わずか3年)豪華絢爛な安土城は、短命な幻の名城となってしまった。

現在、安土山は昭和初期の干拓により四方とも陸地になっていますが、当時は三方を内湖が囲み、琵琶湖を外堀とした壮大な城でした。安土山は全山、宛寺と個人の持ち物だそうです。平成元年から、20年掛けて発掘調査を継続中です。

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 安土駅前観光案内所 TEL:0748-46-4234
[ 旅と散策2010年5月30日 安土城跡 ]
和歌山城
4月24日(土)晴れ。新しく開通した第二京阪道路⇒近畿自動車道⇒阪和自動車道(和歌山IC)下車すると、和歌山城約2時間余りのドライブ、第二京阪道路の開通で南紀方面へのアクセスは便利になりました。

紀州徳川家で有名な和歌山城

八代将軍「吉宗」のふるさと和歌山市の中心に、こんもりと緑茂る虎伏山に和歌山城天守閣がそびえ建つ、天守閣に登れば和歌山市街が見渡せます。和歌山城は1585年(天正13)豊臣秀吉が藤堂高虎に命じて築城し、弟の秀長に与えたのが始まり。桑山重晴、浅野幸長の時代を経て 1619年(元和5)、徳川家康の第10子・頼宣が入城。明治の廃藩置県まで徳川御三家の一つ、紀州徳川家の居城として使われた。岡口門(重要文化財)と特産の青石を使った野面積の石垣などは当時のもの。 

戦後復元された天守閣は鬼瓦や鎧の展示室を備え、紀ノ川の眺めが素晴らしい。城内西の丸の紅葉渓(名勝庭園)は、紀州藩祖徳川頼宣が西之丸御殿に築造したもので、戦後復元した池泉観賞式庭園。(無料) 

住所:和歌山県和歌山市一番丁3 TEL:073-422-8979 「入館料大人:400円」
[ 旅と散策2010年4月24日 和歌山城 ]
犬山城と犬山祭
4月3日(土)快晴。愛知県犬山城に満開の桜を見に行ってきました。犬山城は、ちょうど犬山祭の真っ最中、13両の山車(やま)が犬山城下の針綱神社前に集まり、人形からくりをお披露目し奉納した後、犬山城の麓の針綱神社に山車が集まります。 山車が満開の桜並木をぬって練り歩くさまは実に”豪華絢爛”まるで時代絵巻を見るようでした。 

木曽川の南岸にそそりたつ犬山城

犬山城は天文6年(1537)織田信長の叔父である織田信康によって造営され、尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦(1584年)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が、12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をしました。江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続きましたが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となりました。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城でした。天守は三層四階の天守は入母屋造りに望楼を上げる建築様式。国宝に指定されているのは犬山城、松本城、彦根城、姫路城の4城のみです。

桜並木を練る車山「犬山祭」

当地の産土神を祀る針綱神社の行粧式であり、例祭は寛永12(1635)年、尾張徳川家家老犬山城主成瀬隼人正正虎公の沙汰で氏子が行粧の車山・ねり物を出し、以来今日迄継承されてきました。犬山祭の主役は 13輌の車山で、いずれも三層からなる豪華なものです。すべて江戸時代から伝わる「からくり人形」を操り、「奉納からくり人形」を披露するのは全国でも唯一のものです。13輌の車山は「愛知県有形民俗文化財 (愛知県指定1号)」として文化財に指定されております。祭礼に曳山(ひきやま)の類を巡行する祭りの形式は、今日においても、全国各地で見受けられますが、 曳山は、それぞれの土地で「鉾」「山車」「屋台」「車楽」などと呼ばれており、犬山では「車山」と標記して「やま」と言い習わされています。

住所:犬山市犬山北古券65-2 TEL:0568-61-1711
[ 旅と散策2010年4月3日 犬山城と犬山祭 ]
徳川家康生誕の岡崎城
21日(日)。朝、西日本では黄砂と強風のため、高速道路は視界不良と車の横揺れで運転しづらかった。小雨がぱらつくと車体が黄砂で茶色に汚れている。午後からは青空がのぞくが、強風が吹き荒れた一日でした。

今回のドライブコースは、京滋バイパス⇒新名神高速道路⇒東名阪自動車道 ⇒伊勢湾岸自動車道⇒東名高速道路(岡崎IC)下車。岡崎城は岡崎市の中心地、ほぼ、国道1号線と国道248号線の交わる位置にあります。天分11年 (1542)12月26日に、徳川家康が誕生した城として有名です。岡崎城の起源は15世紀前半まで遡り、康正元年(1455)明大寺の地に西郷稠頼によって築城されたのがその始まりで、その後、亨禄3年(1530)に松平清康(徳川家康の祖父)が現在の位置に移して以来、その場所が岡崎城と称されるようになったそうです。 

徳川家康生誕の岡崎城

岡崎公園は、岡崎城の城跡を公園にしたもので、岡崎城や三河武士のやかた家康館を中心とした歴史と文化の公園です。岡崎城と切っても切り離せないのが「日本100名城」「日本の都市公園100選」「日本のさくら名所100選」に認定されているということです。また公園内には、電話ボックスの屋根にお城が載っていたり、お城にまつわる展示物がいろいろと設置されています。からくり時計は、9時から5時までの間、毎時0分と30分にからくり時計の扉が開いて、からくり人形が出現して能舞台を踊ります。

住所:岡崎市康生町561(岡崎公園内) TEL:0564-22-2122 
「入場料:500円」「駐車場:有料」
[ 旅と散策2010年3月21日 岡崎城 ]
織田信長の拠点の岐阜城
今年の夏は天候不順が続き梅雨明けもずいぶんと遅かったようです。12日 (水)〜16日(日)までの盆休み、12〜13日は休養、14日〜16日は、自動車で信州方面に行ってきました。ETC割引で帰省や旅行の渋滞を避けるため、自宅をAM6時に出発した。今年は不景気のせいなのか1週間前でも旅館やホテルをネット予約で取れました。今回の旅の楽しみは、宿泊先だけを決めていきあたりばったりの飛騨・信州の旅でした。高速道路の渋滞を予想して、のんびりとしたドライブも良いものです。名神高速道路(大山崎IC)では意外とスムーズに車は流れ、東海北陸自動車道(岐阜各務原IC)下車、ETC割引で1450円。途中下車して岐阜城に立ち寄る。

織田信長・斉藤道三ゆかりの「岐阜城」

金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ「美濃を制すものは天下を制す」と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、永禄 10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。

天守閣からの眺望 

展望台からは眼下に清流長良川、東には恵那山や木曽御岳山、北には乗鞍・日本アルプスが連なり、西には伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望を楽しむことができます。現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り、3層4階建てとして復興され、平成9年には大改修を行い、岐阜市のシンボルとなっている。夏の夜間営業では、パノラマ夜景も楽しめます。金華山ロープウェーで山頂へ、岐阜城まで徒歩10分。 

「ロープウェー運賃往復大人:1050円」「岐阜城入場料大人:200円」「駐車場:300円」 
住所:岐阜県岐阜市金華山天守閣18 TEL: 058-263-4853 
[ 旅と散策2009年8月17日 岐阜城 ]
東北で唯一の現存天守「弘前城」
近畿地方、やっと梅雨明け

弘前城は津軽地方を平定した津軽為信の志を継いだ子の信枚が、慶弔16年(1611年)に築城した。天守は五重であったが落雷で焼失。文化7年(1810年)に本丸の辰巳櫓(南東隅櫓)を三重に改築して天守代用とした。これが現存する天守である。関東・東北地方において、唯一の現存天守として貴重である。本丸、二の丸および付属の郭が、3重に巡らされた堀によって区切られている。そのなかに残る隅櫓三棟と城門五棟の建造物が往時の姿を留めている。いずれも重要文化財に指定されています。 
現在は、弘前公園として多くの市民や観光客に親しまれています。周囲の松や桜の古木と相まって風格を備え、弘前城から岩木山を望む風景は素晴らしく、全国にも名高い桜の名所で知られています。 

[ 旅と散策2009年 弘前城・浅虫温泉 ]
福島県「鶴ヶ城」
会津若松「鶴ヶ城」と白虎隊の眠る「飯盛山」を訪ねる。 
8日の福島地方の天気は、曇り時々にわか雨。大内宿から会津鶴ケ城へは自動車で約1時間、福島県の代表する観光スポットです。その後は、白虎隊自刃の地と知られる標高380mの飯盛山にある墓前に参り、夕方雨が降りだし磐梯ゴールドラインから猪苗代湖を下界に見て、道路は濃霧が立ち込めて景色は殆ど見えない。6時過ぎに今夜の宿泊先へチェックインすることが出来た。 夕方から朝方にかけて雨は本降り、明日の降水確率90%。

天地人ゆかりの地 「鶴ケ城」

大河ドラマ「天地人」の上杉景勝は会津120万石でこの地を治めていた。会津若松市のシンボル「鶴ケ城」は、2004年に内部がリニューアルされ、お城ミュージアムとして多くの観光客で賑わっています。展示と併せて大河ドラマを見れば、さらに会津と上杉や直江のつながりを納得できます。また天守閣の展望台からは緑に囲まれた会津若松市を眺めることができ、敷地内には千利休の子の少庵が建てた茶室があります。

「入場料大人:500円セット料金(天守閣:400円、茶室:200円)」「駐車場有料」

白虎隊の自刃の地「飯盛山」

江戸時代末期の戊辰戦争(会津戦争)では“白虎隊の悲劇”の場としても有名となりました。石像の少年が、小手をかざして見つめている方向に会津藩の象徴、鶴ケ城を望む。江戸時代末期、薩摩藩・長州藩を中心とする倒幕派と会津藩を中心とする佐幕派の戦いの中で、会津藩が集めた16から17歳の少年兵(白虎隊)が、煙に巻かれる鶴ヶ城を見て落城と勘違いしてしまい、自害を図った場所なのです。飯盛山で命を絶った白虎隊十九士のお墓があります。

六角三層、観音信仰の「さざえ堂」

江戸時代中期に観音札所(西国、坂東、秩父)の百観音百体が三階の堂に集めた観音信仰のお堂として郁堂和尚が建立。内部はらせん状になっており、右回りに上っていくと、最上部で左回りとなって、一度も同じ所を通らずに出口に着くという不思議な作りとなっています。外観がさざえに似ていることから、さざえ堂の通称で親しまれています。
(国の重要文化財に指定)

[ 旅と散策2009年7月8日 鶴ヶ城・飯盛山 ]
日本最大の城郭「江戸城」
5月2日(土)。新幹線「東京駅」下車して、丸の内出口から皇居に真っ直ぐに向かって徒歩 10分。まず目に入るのが桜田二重櫓(巽櫓)。皇居前広場の二重橋で記念写真を撮るが、午後からは太陽が逆光のため写真が上手に撮れませんでした。写真撮影のお勧めは午前中に来るといいでしょう。皇居外苑の南東隅にある楠木正成の銅像は高村光雲、馬は後藤貞行の作です。

観光スポット「二重橋」

皇居外苑の皇居前広場から正門を通って宮殿へ至る濠には、二つの橋が架かっている。手前がめがね橋「正門石橋」奥にかかっている橋が「正門鉄橋」。「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われています。皇居一番の記念撮影のスポットです。普段は閉鎖されていますが、新年や天皇誕生日の一般参賀の際には、ここを通って宮殿前の広場に入ります。


江戸城(通称・千代田城)

江戸城は長禄元年(1457年)扇谷上杉氏の家臣、太田道灌によって築かれた。慶長8年(1603年)家康は江戸に幕府を開き、その後三代家光の代まで普請を続け、寛永13年(1636年)一応の完成を見る。家光の代には五層の豪華な大天守があった。以後代々の将軍の居城となり、戊辰戦争までの 270年間一度も戦火に遭うことなく栄えたが、明暦3年 (1657年) の大火で大天守や本丸・二の丸殿舎などが焼失、明治に至るまで13回の火災に遭う。 
大政奉還の翌年(1867年)から皇居となり今に至る。 

[ 旅と散策2009年 東京観光・皇居二重橋 ]
桜が満開の大阪城
ぽかぽか陽気に誘われて… 

先週7日(火)。今日は仕事をするのがもったいないほどのお花見日和。仕事の途中JR大阪環状線「大阪城公園駅」下車をして、大阪水上バス「大阪城港のりば」の大川(旧淀川)沿いの満開の桜並木を通り抜けると大阪城ホールに突き当たります。外壕の青屋門をくぐる抜けると内壕に架かる極楽橋を渡って城内に、天守閣やお堀沿いなど城内の至る処に桜が満開の時期を迎えていました。

天守閣と桜の取り合わせが美しい
   
大阪城(明治以前は大坂城)は水運の利に恵まれた上町台地に豊臣秀吉が天下取りの拠点とすべく、天正 11年(1583年)に築城を開始、これが豊臣大坂城です。大阪城は二度の炎上で、昭和6年(1931年)に再建。大阪城を取り囲む約 107万屬了棒弩園で、数々の重要文化財があります。園内には約 4300本の桜と巨大な石垣と濠、桜の開花時期には美しい調和をみせ多くの人が訪れます。
「桜の見頃は3月下旬から4月上旬。」

大阪城公園「西の丸庭園」

西の丸庭園は夜桜の名所として知られ、ソメイヨシノを中心に約600本の桜が咲いています。また大阪城公園内の約1.250本の梅の花が咲き競う梅林とともに人々の人気を集めています。西の丸庭園から見る昼の景色の天守閣と桜の取り合わせが美しい。大手門を通り抜けて京阪電車「天満駅」まで歩いて帰る。西の丸庭園「入園料大人:350円」中学生以下、65歳以上及び障害者の方は無料です。

住所:大阪市中央区大阪城1-1 TEL:06-6941-3044
[ 旅と散策2009年 大阪城の桜 ]
井伊直弼と開国150年祭「彦根城桜まつり」
11日(土)。全国的に日中25℃を越える汗ばむ夏日となりました。彦根城の桜はちょうど満開を迎え大勢の花見客で賑わっていました。彦根城を中心に約1.200本の桜が咲き、お城は1年で一番美しい季節です。彦根城と言えば、今や人気を博しているのがゆるキャラの「ひこにゃん」です。城内にはひこにゃん音頭が鳴り響き、ひこにゃんのショウタイムは、子供よりも女子高生や大人に人気があり“可愛い”の連発でした。

天下の名城「彦根城」

元和8年 (1622年) に、井伊直勝(直継)によって約20年の歳月をかけて完成。彦根城の名は別名「金亀城」。唐破風、千鳥破風、火灯窓をつけた華やかな天守は国宝に指定され、彦根の象徴ともなっています。天守、付櫓および多聞櫓、彦根屏風、太鼓門および続櫓、天秤櫓、西の丸三重櫓および続櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋など国宝や重要文化財であり、全国でも数少ない名城として名高い。

名勝「玄宮園」

彦根城の北東にある池泉回遊式庭園。4代藩主直興が延宝5年(1677年)に造営した。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞらえたもので、江戸時代初期の庭を現代に伝える名園。大きな池に突き出すように建つ臨池閣、凰翔台といった建物のほか池の周りには中国洞庭湖の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模し、竹生島や沖の白石を表現するために樹木や岩石も配置され、見ていて飽きることを知らない。池越しに眺める彦根城は一服の絵を見ているようです。

住所:滋賀県彦根市金亀町1-1 TEL:0749-22-2742 「入場料大人:600円」
[ 旅と散策2009年4月11日 彦根城 ]
宮崎「飫肥城」と鹿児島城跡
九州の小京都「飫肥城」

伊東藩5万1干石の城下町飫肥は、町の中央部に清らかな酒谷川が流れ、男鈴・小松などの山々に囲まれた景観と静かなたたずまいを漂わせます。また飫肥城・武家屋敷通りなど重要伝統的建造物群保存地区があり、歴史を感じさせてくれる「九州の小京都」と呼ばれています。大手門を下って商家資料館に向かう途中、脇道に入ると澄んだ水の中を泳ぐ、たくさんの鯉を見ることができます。 

飫肥は文明16年(1484年)の戦い後、豊洲島津家の全盛期をはさんで、伊東家と島津家の間で飫肥の覇権をめぐって合戦が繰り広げられた。伊東義祐は、飫肥城主島津忠親を破り、念願であった飫肥を奪うが、すぐに島津氏の手に戻り、その後天正 15年(1587年)、豊臣秀吉の命により義祐の子・祐兵(すけたけ)が伊東家の居城として賜って以来、明治初期まで280年余り伊藤家は14代にわたって飫肥藩を治めた。明治6年(1873年)には、飫肥城内の建物全てが取り壊されました。取り壊された大手門は昭和53年(1978年)7月に樹齢 100年の飫肥杉を使用して復元されました。 

所在地:宮崎県日南市飫肥10-1-2 TEL:0987-25-4533 
[ 旅と散策2009年3月20日 飫肥城 ]

鹿児島城(島津77万石の居城) 

鹿児島城は島津家久が標高107mの城山山麓に築いた平城です。1602(慶長7)年に初代薩摩藩主・島津家久の命によって築城をし10年後に完成した。

この城は、近代的な天守を持たない館作りの居館で「城をもって守りとなさず、人をもって守りとなす」の精神によるものでした。西郷隆盛が西南の役の時に、最後に立て籠もったのが、鹿児島城の背後にある城山でした。有事の際には城山が一大城塞化されるように最初から計画されていたからこそ、隆盛は城山に「籠城」したのでしょう。
現在は、本丸跡の石垣と堀の一部が残っています。別名「鶴丸城」とは、背後の山が鶴丸山と呼ばれていたためにつけられた名前です。現在大手門址付近に堀と石垣を残すのみです。 

所在地:鹿児島県鹿児島市城山町7-2 TEL:099-222-5100
[ 旅と散策2009年3月21日 鹿児島城 ]
伊賀上野城
「日本100名城」めぐり
19日(日)。秋色濃くなり爽やかな好天気が続いています。今日は、忍者の里と呼ばれる伊賀の国へ… 伊賀市は山に囲まれた九里四方の小さな盆地が中心の城下町です。街の北側の丘には白亜三層の伊賀上野城が静かな雰囲気を醸しながら端麗な姿を見せていて、白鳳城の雅名がある。
お城の見学を終えて、伊賀流忍者博物館、だんじり会館を通り、昼食は伊賀牛に決めていたので駐車場のおじさんに美味しいお店を紹介してもらった。踏み切りを越えて徒歩約15分「すき焼き伊藤」で伊賀牛に舌鼓を打つ。さすがに伊賀牛は美味しかった!  

別名「白鳳城」 

天正3年(1585)伊賀の国主となった筒井定次が文禄のころ三層の天守を築き、北に表門を構えた。慶弔13年(1608)藤堂和泉守高虎が入国して、これを西方に拡張し雄大な本丸を築き、さらに外濠を画して典型的な近世城下町を建設した。天守は慶長17年9月台風のため倒壊、再び建てられることなく廃藩となった。現在のものは昭和10年、地元の名士川崎克氏が私財を投じて復興天守を再建した。天守は三層三重の大天守、外壁は純日本式土蔵壁とし、本体の総丈76尺(23m)基台をあわせると110尺(33.3)。天守は昭和60年(1985年)に伊賀市の文化財に指定されています。

「入館料大人:500円・駐車場:500円」日本100名城の書籍を城内売店で買い求める、今年から全国各地のお城めぐりの楽しみが出来ました。またHP「旅と散策」に、新たに「日本100名城」のコンテンツが増えます。(書籍定価:1500円プラス消費税)

住所:重県伊賀市上野丸之内106 TEL:0595-21-3148
[ 旅と散策2008年10月19日 伊賀上野城 ]

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